なぜかといえば

 

 

子どものころから 母は 私の言動が意に染まないと  

「それはやめて ばあちゃん(私の祖母)がいやがるから」あるいは

「それはやめて 商店街のひとたち(両親はそこで乾物屋を営んでいた)にわらわれるから」

「それはやめて 世間(世間て誰なの と数えきれぬほど訊いた)がゆるさないから」

と よく言ったものです

私は言われるたびに

  祖母がいやがる ・・・?

  他人がわらう  ・・・?

  世間がゆるさない・・・?

 

じゃ お母さんはどうなの? と問い返すと

「お母さんのことはいいの とにかくやめて」

母の返答に 「理由になってない!」 私は声を荒げ 

また心の中で「私にわかるように話して!」と叫んだものでした

 

小学校3年生の時 日本体育大学出の新任先生が担任になったある日

私たちがラジオ体操を始めたと思ったら 

「はい やめー!」というはきはきした先生の指示で すぐに音楽が止められました

先生は「最初 みんなは腕をこんな風に(前の方にだらっと)挙げてたでしょ

そうじゃないの 両耳の後ろに肘が触るように まっすぐ空に向かって挙げるのよ」

そして

「なぜかといえば」と仰ったのです

私は緊張しました

「なぜかといえば そうやって両腕を挙げると 肺がいちばん広く広がって

 朝のおいしい そして新しい空気が 肺から体一杯に満ちていくからです!」

 

「なぜかといえば」

これです この言葉です

私が幼い頃からずっと言って欲しかった言葉

それが この「なぜかといえば~~~だから」です

ものごとのなぜかという理(ことわり)を

この先生は説いて下さった

この言葉で 頭や胸のつかえがぽ~ん!と飛んでいって

生まれて初めて深呼吸ができたような気がしました

 

母の「やめて!」には 彼女なりの感情的な理由はありましたが

先生の「やめー!」には 私たちに論理的に説明し わかってもらおうとする気持ちがありました

そもそもなぜ私がここに生まれてきたのか

なぜ私は生きているのか

なぜ私の体はたった今も 精巧に機能しているのか

存在ソノモノのソモソモはわからないことだらけで

わからないものはわからないままもすてきだけれど

それでも 母の私に対する長年の不条理な対応があったからこそ

条理に飢えていた私らしさが育まれたのだと

今は母にとても感謝しています